2014年11月21日金曜日

【習作】猫や



【タイトル:猫や】
【文字数:1392字】




credit: Mr.NG via FindCC


猫がいる。
いや、正確には猫じゃないかもしれない。

最初に気づいたのは太郎だった。「パパ、なんか変な声がきこえる」と怯えながら俺に訴えてきた。


耳をたててみると、住んでいる借家の、庭に出る裏口側の縁の下方向からたしかになにかの鳴き声がきこえる。
これがまたひどい声だった。季節はもう10月も過ぎる頃だというのに、ぶにゃあ、ゔにゃあと発情期みたいな声を上げている。
「猫って秋にも発情するのか?」俺が訊くと、
「そんなの知らないわよ。でも猫だったら飼いたいわねえ」
「ぼくも猫、飼いたいー」
なんてかみさんと太郎はのほほんとこたえた。
あのなあ。
そういって世話するのは結局いつも俺になるじゃないか。カマキリだってカブトムシだって夜店の金魚だって。

さいしょは「飼いたいわー」なんて言ってたかみさんも太郎も、朝晩けたたましい声が二週間ちかく続けばさすがに辟易してきたらしい。
「もうなんとか追っ払ってよ、気味がわるいわ」かみさんがせっつく。
「だから言ったじゃんか、野良は厄介なんだよ」俺は反論しながらしぶしぶと、奴の声のする裏口へとまわる。

最初は「こら!」と声を上げて床をドンと踏み込めば、ぎにゃっと言ってそれきり声をひそめる奥ゆかしさがあった。けれどもそれも3,4日のこと。

「おい!」ドン!
「にゃー!」

「こら!」ドン!
「にゃー!」

「出てけ!」ドン!
「にゃー!」

今じゃ息をひそめるどころか合いの手を入れてきやがる。この野郎。



そのうちに、奴は昼夜を問わずひっきりなしに声を上げるようになった。
その代わりあれだけ喧しかった鳴き声がだんだんとかすれとぎれがちになった。
怪我でもしてるのか。それとも出産とか。

「おーいどうした。どっか悪いのか」俺は裏口から鳴き声のするほうへ呼びかけた。
耳が聴こえていないのかもう俺の声に反応することもなく、ずっと同じ調子で鳴き続けている。

ーーもしかして、終の棲家に選んだのかよ、勘弁してくれ。
俺には奴がどこにいるのかもわからない。古い家なので縁の下の空間は無限にひろがって居る。かすれた声が俺の中に積もる。

数日して、やがて声はきこえなくなった。
かみさんと太郎は奴のことなんかすっかり忘れて、妖怪ウォッチがほしいよお、とか言ってる。
俺は俺で、死んだか、産まれたか、番とどっかいいったかかな。いちばん最後のやつだといいけど。なんてふと思い出したりして、でもそれっきりだった。



秋の最後のからっ風、みたいな朝だった。
玄関の鍵を開けて新聞受けから朝刊を引っこ抜き、スウエット姿のままつっかけサンダルで外に出た。もう寒いっちゃ寒いけど、今年は雪がおそいかもな、みたいなことをぼんやりひとりごちながら、俺はタバコに火をつけ肺いっぱいに冷たい空気と煙を吸い込んだ。
と、公道へとつづく前庭の真ん中にひとつ、見慣れないちんまりとしたものが落ちていた。山吹やえんじ色の枯れ葉にまじって、ごみよりは少し存在感のある、黒っぽい。なんだ?俺は腰をかがめてそのちんまりに近寄った。

ねずみの死骸だった。


うへえ。今までこんなことなかったのに、なんだってこんな、と思った次の瞬間、俺は、あ、と声に出した。


そういえば。もしかして。あいつ? 


いやまさか。死んだのかもわからないし。
もし生きてたとしても、単に食い散らかした死骸を置いてったのかもしれないし。
そもそも猫かすらもわからなかったし。
恩義とか?宿の礼とか?いやいや考えすぎだって俺。いやー。

いやー、いやー、といいながら、俺はそのちんまりをちりとりに箒で乗せるとしばらく、庭でたちどまっていた。
今年はもうちょっと、雪がおそいかも、などとひとりごちつつ。













2014年11月18日火曜日

【習作】深海魚たち


【タイトル】深海魚たち
【文字数】1087字

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ーー深海魚、知ってる? エソとか。
夜中のアパートの玄関先でする話じゃないって? 
まあ聞けよ。

深海魚の種類でさ、雄とか雌とかあんま決まってないのがいるんだって。

相手と出逢ったら、どっちが雄でも雌でも子孫を残せるように、そんなシステムらしい。

深くて広くて暗い海の底で、同種と遭遇する確率がすごく低いから。

そういう種類の中には、相手が見つかったら、もう離れないようにそのまま相手の身体にくっついて吸収されちゃって、自分がなくなっちゃう奴もいる。

もうちょい浮上して相手見つけたらって思うんだけど、まあ臆病なんだろうな。

そうやって、一生出逢えないかもわからない相手を、暗い海の底でひとりで待ってる。





ーー俺さ、

俺さ、お前にとってずっといい友だちのままでいる自信あったんだよ。

頭の中で何べんも何べんも繰り返し練習したんだ。

大学出て、社会人になって、

お前がいつか彼女を俺の前に連れてきたとき笑って挨拶するシーンとか、

お前の結婚式で友人代表でおめでとうってスピーチするシーンとか、

お前と嫁さんの間に子供が生まれて、その子に「おじちゃんからだよ」ってお年玉渡すシーンとか。



完璧に演じられると思った。墓まで持っていけるぜって。

どういう形でも良かったんだよ。お前のそばにいられるんだったら。

お前が俺から離れていかないなら。


だからなんであの時お前の手を握っちゃったのか、自分でもわからなかった。

お前が泣いてたからかもしれない。



お前がさっと手を引いた瞬間に、あー終わったなって思った。


今までこんなに慎重に積みあげてきたのに、たった一瞬でぜんぶ失っちゃうんだなって。

酒のせいだったって言えばよかった。
でも言えなかった。

お前に申し訳ないって思う以上に、俺しか知らない俺の気持ちを、嘘だって言葉にしてしまえば、俺があんまり可哀想だって思った。



ごめんな。





携帯に電話しても出ないし大学でも遭わないし、ああこのまま終わるんだなって思った。

もうこのまま顔をあわせることもなく卒業して、

お前の中では俺なんか最初から出逢ってすらいなかったことになってて、

俺は、少しずつ壊死してくみたいに、あのときのお前の掌の温度だけをたまに思い出しながら生きてくんだろうなって。







だから、







だから、お前が、なんで今ここにいるのかわからない。

こんな時間にひでぇ顔で泣きながら俺のアパート訪ねてきてるのかわからない。

うるせえ寒いから中でコーヒー飲ませろってぐしゃぐしゃの顔で俺のこと罵倒してるのかわからない。


とりあえず俺もさみぃしコーヒーは淹れるけど、俺も今お前以上に顔ぐしゃぐしゃな自信あるから、


灯り点けるのは、もうちょっとだけ勘弁してくれ。



















2014年11月1日土曜日

【習作】海つ神

【題:海つ神】
【文字数:1976字】


__________


「とうさん、なんでうちには墓が2つあるの」

墓参りの帰り道、手にもつバケツの中の水をちゃぷちゃぷと揺らしながら宏太が聞いた。
宏太に歩幅をあわせていた父は、しばらくうつむいてのち、口をひらいた。
「そうさなあ」
父は左手に広がる穏やかな盆の海に目をやった。
「あれは、無縁仏ととうさんの弟の墓なんだ」
そういって父は、無縁仏にまつわる家のこと、そして自分の弟のことについてぽつぽつと話をはじめた。



Is that how the gods do it?


勇蔵という漁師の手繰り網に、無縁仏がかかった。
この村でいう無縁仏というのは、身投げや海難事故などで亡くなった遺体が網にかかってくるものだった。
勇蔵はいそいで網から遺体を外そうとした。
網を外していくうち勇蔵がおどろいたことには、上のからだは人間の男のものであったが、下は人のそれとは違うものだった。
太刀魚のようにひょろんとしたものが腰から下にくっついていた。

男にはまだ息があった。臓腑が抉れていた。鮫か何かの仕業だろうか。勇蔵は思った。


男はきれぎれの声で勇蔵にいった。どうか俺を海のみえるところへ葬ってくれ。
勇蔵がわかった、わかったというと、男は自分の右の目玉をくりぬいて勇蔵にわたした。
勇蔵の掌に乗ると目玉はにぶく七色に光をうつす石になり、ころんと転がった。

勇蔵は約束どおりに男のなきがらを海の見えるところへ埋め、無縁仏として供養した。

その年から数年間、勇蔵の出す船はかけるたびかけるたび漁があった。
勇蔵はあの亡骸のおかげだと、男からもらった七色の石を神棚に祀った。


やがて勇蔵に2人の子ができた。
上の子を正晴、下の子を青治といった。
正晴が8つ、青治が5つのときのことだった。青治が高熱を出した。
40度近くの熱が1週間続いたころ、家族の誰もがこれまでかと覚悟した。

正晴は仏壇に祈った。神棚にすがった。
神様、仏様。どうか青治を、弟を助けてください。
俺のたったひとりの弟なんです。

そのとき神棚にあった七色の玉がぱりんと割れた。正晴が見るとそれは光を失いただの石になった。
翌日青治はけろりと熱が治った。
家族のものはみな奇跡だ奇跡だと涙を流して喜んだ。


それから6年がたった。
正晴は、父の勇蔵の船仕事を手伝えるほどにたくましく精悍に育っていた。
青治は兄とは対のように線が細く、色が白く、顔つきも時おり女の子とまちがわれるほどつるりとしていた。

そのころから、青治におかしなことがおこるようになった。
小学校の同級生は「青治が座ったあとの椅子に鱗が落ちている」といった。
蚊帳の中で布団を並べて正晴といっしょに寝ていたはずなのに、なぜか青治の布団だけが豪雨に降られたかのようにびっしょりと濡れていた。
かと思えば青治の入ったあとの風呂がすっかり干上がっていた。
兄弟で素潜りに行き、向こうの浦で青治が何やらしていると思ってこっそり正晴が近づくと、青治は生魚を頭からばりばりと喰らっていた。

青治を村の子供は気味悪がるようになった。
ある日のことだった。
村の悪餓鬼が取り巻きをつれて青治をとりかこんだ。
「化け物じゃないなら皆の前で裸になれ」とせせら笑った。
青治は服を脱ぐ代わりに悪餓鬼に飛びかかり、耳に歯を立てるとそのまま噛みきろうとした。
悪餓鬼の悲鳴を聞いて通りかかった正晴が、いそいで二人を引き剥がした。
青治は正晴の腕へ噛みついたところではっと我にかえった。
「兄ちゃん」
兄は腕の骨が折れ、悪餓鬼の耳は半分近くまで顔から離れていた。


ある夜のことだった。
叢雲に隠れる月がほんの気まぐれに顔を見せ、むしあつい寝床の蚊帳の中を照らした。
正晴は、となりの布団で寝ていたはずの弟の姿がないことに気づいた。
ざわつく胸をおさえて正晴は、家を出て角を曲がり、浦へ浦へと走った。

小型の船が出入りする浦の入江につくと、青治の後ろ姿がみえた。
夜を映して重油のようになめらかな波の中に、とぷ、とぷと歩いていくところだった。

「青治、いくな、青治」

正晴が声を上げてざぶざぶと海の中へ入ると、青治はうつろに顔をこちらへ向けた。

「くるな、兄ちゃん」

「人の世はたのしかった。お前の弟であることはよろこばしかった」

そういうと青治は、あたまから一気にとぷん、と波の中へ入った。

それきり青治があがってくることはなかった。





「その青治さんて人、どうなったの。死んだの」

宏太が父を見上げていった。
「わからない。すぐに大人も警察も呼んで、探してもらったけど、結局どこにも見つからなかった」
父がこたえた。
「それからしばらくして、じいちゃんと俺が船に乗って、時化に船が流されたことがある」
「でも急に海が凪いで、俺たちは助かったんだ。あれはきっと青治かな」
「でもなあ」
「俺は青治が何者でも、どんな姿でもよかったのになあ」

宏太はそういいながら父がゆっくりとさすっている腕に目をやった。
鱗のようにてんてんと紅い歯型が残るそこに、撫でるように潮風がとおった。






了










2014年10月31日金曜日

【習作】水彩の手紙



拝啓

育子さん、お久しぶりのお手紙です。そちらはおかわりありませんか? 仙台と営業にはもう慣れたでしょうか。 
私もこちらに戻って警察官になって、早いものでもう4回目の冬を迎えようとしています。
ということは、私と育子さんが出逢ってから8年になるんですね。
あなたと過ごした大学の4年間はあんなにゆっくりと過ぎていったのに、と驚く日々です。

前回の手紙からかなり間が空いてしまいましたね。そのあいだのことを少し書きたいと思います。

彼氏は相変わらずできません。そのあいだに私は昇進試験を受けて、あこがれていた刑事になりました。でも今は生活安全課にいます。
刑事課に女子は私ひとりでした。たしかに昼も夜も非番も関係なくてハードです。だから彼氏をつくる暇もなかったし。言い訳だけど。
卒業間際に、育子さんは白木屋で私に「刑事なんてむいてないからやめろ」と言いましたね。覚えてますか?
いま思えばあなたの見立ては正解でした。私は刑事に、もっというとこの仕事にはむいていなかったのかもしれません。

刑事の職場ではたくさんのものを見ました。工場の機械にはさまれて上と下に分かれた人も見ました。
でも見るのがつらかったのは遺体じゃなかった。
見るのがつらかったのは、人が人にむけた悪意でした。そしてそれを肴に酒を飲む同僚や上司たちでした。
それらに毎日まいにち触れるのがこわかった。自分の中になにかがどんどん流れこんでいく感じがしました。

今の課でもその作業がないわけではありません。
けれど、痴漢やストーカーといった女性犯罪の被害者へ、同性として貢献できていると実感できることが多くて、それが救いかな。


同封した写真は、ゴールデンウィークに行った宇曽利湖です。
うすい桜色や灰色や象牙色や浅葱色や、いろんな色が霧に濡れたように滲んでまじって、空と湖面の境界線がわからないでしょう。湖だっていわれないとわからないよね。
こんな風にみえるのはこの時期だけなんだって、案内の人に教えてもらいました。
プリントアウトした写真をみたらなんとなく、育子さんと飲んでいた頃のことを思い出しました。

また朝まで飲みたいですね。でももうあのとき話してたこととは、きっと違う話になってしまうのかな。
この手紙は出せるかな。出せなかったら、また書きます。
それでは、身体に気をつけて。


                                    敬具




2014年10月22日水曜日

【習作】遁走癖

【文字数:1880字】
【読了時間:約2分】
※内容に一部性的描写を含みます。ご注意ください



毎年蝉が鳴きはじめるころになるとそれはやってきた。
灯子がはっきりと自分の癖だと自覚したのは社会人になってからだった。
気づくと新幹線に飛び乗り、無人駅に立っていた。男の迎えを待っていた。




小雨がふっていた。
男は傘をさして駅の入り口に立っていた。灯子を見つけると大きく手を降った。

「会社はいいの?」男が灯子を傘のなかに入れながらきく。
「うん、1週間休みなの。」灯子は男の顔を見上げながらこたえる。

背の高い男だった。襟の伸びたシャツを着ていた。男自体が廂のようだった。
身体を少し折り曲げて灯子の歩幅にあわせていた。

駅から男の家まで歩くあいだ、一軒家の脇の小さな畑のそばを通った。畝と腰くらいまでの蔓植物があった。紋白蝶が葉の中で雨しのぎをしているのがみえた。

ーートウキョウにも無人駅とか、畑とかあるんだね。
ーーあるよお。もうちょっといけば、田んぼもあるよ。
ーーモンシロチョウも飛ぶんだね。
ーー飛ぶよお。灯子ちゃん、トウキョウどんなとこだと思ってたの。

男と話しているあいだじゅう、灯子の携帯電話が鳴っていた。
開くと恋人の名前が連なっていた。恋人には連絡をしていなかった。灯子は携帯の音量を消してバッグにしまった。

男の家は一軒家の借家だった。中に入ると畳の部屋にウッドベースがあった。
「デブ子ちゃんていうんだ。官能的でしょ」 男はいった。
滑らかな光沢と曲線だった。居間の半分近くを占めていた。馬色の木目に窓の外の木々の緑がうつりこんでいた。
ほかにキーボードと、機材と、天井まで届く書棚があった。
書棚には灯子の知らないCDがあった。天井までつまっていた。

男は灯子に野菜スープを煮た。
「灰汁はとらないんだおれ。これも栄養なんだって。にんにくすごい入れちゃったけどいいよね」
器によそいながら男はひとりでしゃべった。
少し開けた窓から湿った風にのって、濃い緑の匂いがした。その向こうには星がみえた。
灯子は窓の外をみながら汁をすすった。



男は灯子のからだを触った。どちらともなく触った。
こどもがはじめてものを触るようにひとつひとつ灯子のかたちをなぞった。男は灯子のからだをほめた。

ーーきれいだね。やわらかいね。ここは気持ちいい? じゃあここは?

灯子は男からからだをほめられるのが心地よかった。器として自分はうまくやれている。そう思うと灯子は安心できた。声を出して背中をそらせた。



「おれねえいま離婚調停中なの」男は軒下の餌場に餌をまきながらいった。

「結婚する気なかったんだよもともと。誰とも。呼ばれて行った店に彼女と彼女の両親が座っててさあ。『今ここであいさつしてよ』って彼女が泣きだしちゃって。
それ見たご両親も、7年つきあって、これから先どうするつもりだ、なんてすごい剣幕で怒りだしちゃってさあ」
明け方にはやんだらしい雨がつくった水たまりに、こぼれた餌が浮かぶ。雀がやってきてつついていく。

ーーかわいいでしょ。雀、だいぶ慣れてくれて。十姉妹とかたまにくるよお。

男は昨夜の灯子をみた目つきで鳥たちを眺める。
「でもだめだね、もともとする気ないのがムリして結婚生活なんかできるわけないよね、別々に暮らしてもう何年も経ってるのに、どうしても離婚届けに判、押してくれなくて」

「おれねえそれでも彼女のことは好きだったんだよ。おれなりに。
鳥もデブ子もウッドベースも音楽も好き。野菜スープも好き。灯子ちゃんも好き。
そんなんだからきっとこれから他の女の子たちのことも好きになると思う。
どうしてみんな好きなものをひとつだけ決めろっていうんだろうね」

男は居間の軒下に腰かけたまま飛んできては去っていく雀たちを眺めていった。
灯子はそれをくたびれたソファに寝ころがりながらきいた。
ききながら、恋人とバッグに入れたままの携帯電話のことを思い出した。


どうして好きなものをひとつに決めろっていうんだろう。


灯子は想像する。
男のひとつだけになりたいと泣く彼の奥さんの姿を。なんで電話にでないんだ、どうしてだまっていなくなるんだ、と携帯の向こうで責める自分の恋人の姿を。音楽やウッドベースや野菜スープとひとしく男の部屋でころがる自分の姿を。
男はきっと灯子に、自分のことをいちばんにしろとは言わないだろう。灯子も男に自分のいちばんになってほしいとは思わない。
それでもいっしょに居たら、いつか役割がほしくなるかもしれない。それらが窮屈になってまた逃げ出したくなったりするかもしれない。灯子はゆっくりとまばたきをした。

日が高くなって、大きく開けた窓から入る湿った土と緑の匂いが強くなる。蝉の声が響きはじめる。









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2014年10月16日木曜日

【習作】汝の名は光

【タイトル】汝の名は光

【文字数】4127文字
【読了時間】約8分




10月1日

ジョージ(仮)がうごめく。腹のなかで。

今日はここへ到着してもう3度めだ。新しい環境におびえているのかジョージよ。いやお前のことだから楽しんでるんだろうジョージよ。アテレコするならさしずめ「オラワクワクしてきたぞ!」だろうキュリオス・ジョージよ。

ここというのは病院のことだ。
ジョージが外界へ出るために少しばかりリスクが高い状態だということで、出産予定日2週間前に私がここへ収監された。
いやあ最近の産科って大変だよねえ訴訟リスクとかねえとくに地方はねえと思いつつ、おかげで2週間早めに仕事を切り上げられた私はウキウキとバッグから古本を引っ張りだす。入院前にブッコフでマイケル・ジャクソンみたいに買い占めてきた。快感!
「お身体大丈夫ですか?」と白衣の天使に優しいことばをかけられながら三食昼寝付きの寝たきり読書三昧というクズ活動が合法的に赦されるなんて、ああこれは神様のおぼしめし?
ビバ妊娠、ビバジョージ! もっと腹の中でゆっくりしてていいぞジョージ!


10月6日

飽きた。

ブッコフで買い占めた古本第一弾は全て読み終え、売店でめぼしい読み物をあさる日々。
共同設計者のオット氏にブッコフ第二弾を20冊ほど頼んだ。
「チョイスは任せるよ」と言ったけど、あの人磯野家の謎とか福山雅治自伝とか浜ちゃんの「読め!」とか買ってきそう。
「ブッコフにたくさん売ってたから人気あるのかと思って!」とかいって。ニコニコして。
病院食は美味しい。私の手料理よりずっと。

ジョージはよりいっそうそのうごめきを具体的なものにしていく。
さっきなんか左腹がつっぱると思って見てみたら、左腹部がマンガみたいに角のようにでっぱってた。どうやらヒトガタの体を増したジョージが外界に向かってヒジ打ちをしてるらしい。
2700か。エイリアンか。そのうち突き破りそうだなお前。

そういえば予定日は10月21日。
もう2週間後なんだけど、予定日前後1週間くらいのズレは問題ないとタントーイのお話であった。
であれば出産予定日前に産まれてくれたほうが何かと予定が立ちやすいのではないかなあ。ホラ小さく産んで大きく育てるとか言うじゃんさあ。
そろそろ酒も飲みたいしあとほら拙者、ウェセックス王国にも行きたいじゃないすかあ。10ヶ月も禁欲するなんて17、8の頃以来だよ。ああロンドンブリッジしてえよお。
あまり食っちゃ寝して太ってもあとが大変とか聞くので、ちょっとした運動を新たな日課に組み込んだ。1階の売店から産科の3階までを階段を使って往復するのだ。
個人差はあれども、ゆっくりすればリスクは少ないらしい。
腹の中でジョージの寝てるときと起きてるときがなんとなくわかるようになった(やっとかよ)!


10月10日

1日1回、昼食後に腹に機械をあて、腹の子の心音が正常に聴こえるかチェックする。
「胎児の心音が聴こえなくなるとか、弱くなることとか、ごくまれにね、あるからね」と、にこっと看護師さん。
リスクは極小だけどゼロではない。産まれるその瞬間までいつ何が起こるかわからない。それは私にかぎらず、入院不要でぎりぎりまで仕事をしている母体にも胎児にも、出産全般にいえることだ。
階段昇り降りやめよっかな。


10月12日

オット氏がブッコフで追加読み物を買ってきてくれた。笑顔で。やっぱり「読め!」が入ってる。
「ありがとう!」と受け取る。笑顔で。
触診で子宮口の開きが何cmか定期的に測る必要がある。カーテンの向こうからゴム手袋をはめて出てきたきょうの看護師さんが高校1年の同級生のスズハラさんだった。
「ひさしぶり!おつかれさん!」
と言うが早いか私のネス湖にブスっと指をつっこむスズハラさん。ああああああ。
あの時は先生への受け答えもしどろもどろだったのに、こんなに立派になったんだねスズハラさん……と感慨深くなる。いんぐりもんぐりされてるあいだじゅう。
地元に残ったのをちょっぴりだけ後悔した。



10月14日

「まだ3cmくらいね~。赤ちゃんのんびり屋さんかしら、この調子だと予定日過ぎそうねアハハ~」
と私の穴から指を引っこ抜いて看護師さんT中さん、
「そっすかアハハ~」
とM字開脚局部全開で私。

1階に降りる。玄関から入ってくる午後の秋風が気持ちいい。
売店の文庫コーナーの毒にも薬にもならない作者とタイトルのラインナップを眺める。
最近ジョージの昼夜が逆転しているのか、日中はシンと静かで心配なほど。その変わり23時ころ布団で横になっているともにょおおんぐにょいいんと動いている。
そんな早くから夜更かし体質でどうするジョージ。マイペースなのかジョージ。てか胎内に昼夜とかあるのかジョージ?





10月15日

0:00

とつぜんの下痢。
地獄の窯が開いてこの世のすべてのものが底に抜けてずぞぞぞぞぞっと便器に吸い込まれてしまうのではないかと思うほど私の中のすべてのものがすっこ抜けた。ジョージも出ちゃうよ!
変なもの食ったっけか。いや病院食しか口に入れてないから、食あたりなら他の患者さんも同時刻にすっこ抜けてるはず。じゃあなんだ?
とりあえず様子を見る。腹がしくしく痛みつづける。このまま続くようならナースコールしよう。
妊娠中も下痢止めって飲めるんだっけ?



0:50

すっこ抜けきったはずなのに腹の痛みが止まらない。
ナースコールを呼ぶまでもなくトイレを往復している私を見て、夜勤の看護師さんが「どうしましたー?」と声をかけてくる。
状況を話すと、
「ふーん… ちょっとエコーかけて、赤ちゃんの心音もきいてみましょっか」
心音は正常。子宮口5cm。

「てかこれ陣痛ですね。お産くるね。」

えええええええだってきょう、午後、「あ~こりゃ予定日すぎますねアハハ~」なんて笑ってたじゃあん!
出たいのかジョージ!地獄の釜の所業はお前かジョージ!心の準備ができてないんですけどジョージ!

さきほどのあれかな下痢かな?ってくらいのしくしく腹痛は既にどんどこどんどこ力強い太鼓のリズムへと変わりはじめている。かすかな遠くの呼び声が、近づいてくるとともにあ、あれサブちゃんだわと認識できるくらいに解像度を増す。与作のこぶしで下っ腹を抉ってくる。ほお。ほおおお。おお。お。



2:00

心の準備ができないまま陣痛室に移動させられる。
「子宮口まだ全然開いてないんでまだまだだと思うけど、念のためご家族に連絡しておいてね」
と看護師さん。
通された陣痛室の奥に目をやるとそこには分娩室が2台ある。うち1台の下にはフレッシュなレッドの血痕が落ちている。
「あーさっきお産あったからねー^^」
あっけらかんと看護師さん。


3:00

すでに私の腹の中ではサブちゃんとジョージのどんこどんこ祭りに海の神山の神が参加している。袖脇に花柳社中も控えてる。
紅組がんばれ、白組がんばれ。俺ももうすぐ紅だ。
オット氏はコール後すぐにかけつけ、「俺仕事あるから!」といって私の手をギュッと握ってすぐに帰っていった。
入れ替わりでギボが駆けつけてくれる。腰のあたりをさすってもらう。すみませんおかあさま、これまで演じてきたちょっとドジっ子なでも従順な嫁はもういません、俺はひとりの修羅なのだ。
「触診しますよー!子宮口7cm!もうちょい!10cmになれば分娩台上がれますからねー。頑張って!」
とマラソン解説者のようにテンポ良くさっそうと指を突っ込みそして去っていく看護婦さん。
10cm!?私は左手でフレミングの法則のポーズをつくる。ギボはだまって狂った嫁の腰をさする。



5:00

頭の中でサブちゃんと浅草サンバカーニバルのおねえちゃんたちがハイタッチして交代する。風神雷神が現れてバチで私の腰椎を直接フルスイング、スクイズ、フルスイングする。極彩色の蝶が見える。もうだめぽ。



6:20

「ハイッ子宮口10cmぃーー!分娩室行ってよーーし!」
「っしゃあああーーい!!」
サンバのリズムで分娩台にひらりと飛び乗る。照明が罰ゲームみたいに照る。
分娩台の両脇についているバーを握りしめる。
「ハイ吸ってー!吐いてー!まだイキんじゃだめーー!」
熱い。この頃になるともはや陣痛の、腰骨フルスイングの痛みよりもジョージの脱出ポット周辺の熱さのほうがひどい。そこから溶ける。
助産師さん2人が私の股のあいだで綱引きをしている。
熱い。出したい。
出る。



ジョージ、光、極彩色、サブちゃん、光、蝶、光、サンバ、光、光、光、光、

熱いぜ出したいぜ産むぜ産んでやるぜ出せるぜ熱いぜいかないで俺はあああ
ああああああああうわああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あほんやあほんやああほんやああほんやああほんやあほんやあほんやあああ






光。







7:00
次に見えたのは天井だった。
分娩台の上で少し気を失っていたらしい。喉がからから。
バーを握っていた手から肩までが痺れてうごかない。

分娩室の外で待っていた感極まるギボの話によれば、「『産ませてよおおお!』と階下にとどろく雄叫びのあとに元気な赤んぼうの声が聞こえた」とのこと。
ジョージが私の溶解した脱出ポットから無事イジェクトされて直後、すぐに私の手元へ戻ってきてくれるのかと思ったらそうではなかった。
看護師さんが別の部屋へ一旦連れていった。
後からきいたところによれば、手の指、足の指が5本ずつあるかとか、看護婦さんがちゃんと確かめる作業があるらしい。
産声が聴こえて、彼がふたたび私の胸元に戻ってきて、赤黒くふやけたその四肢をみて、声をかけたところまでは覚えている。
お前か。お前がずっと私といてくれたのか。


「おつかれさま。頑張ったわね。もう名前は決まってるの?早く決めてあげないとね」

まだ分娩台でぐったりしている私に、分娩前とほぼ変わらないトーンで看護師さんがぽんと肩を叩いて去る。
私はさっき胸に抱いた彼の顔を思い浮かべる。
飴細工の鶴のような指を。眠る蝸牛のような耳を。深い森のような睫毛を。すでに完璧に完成されたそれらを。
そうか、名前。名前を決めないと。あの子はもうジョージ(仮)じゃない。あの子にはもうかたちがある。
あたたかく力強い光を思いだす。
天井が滲む。
名前は。おまえの名前は。







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ーinspired by ”aer" in 「なめらかで熱くて甘苦しくて」






2014年9月28日日曜日

【習作】さよならぼくたちのようちえん

「きょうはぼくたち」「わたしたちの」
「へいえんしきに来てくださってありがとうございました」
壇上の子どもたちが大きな口をあけて口上を述べる。その中段の列の真ん中には僕の子どももいる。


#sea #sunset



きょう、僕の子どもの通う、そして僕も通ったこの幼稚園は、70年の歴史に幕を閉じる。
気象庁と自治体の計算で白い砂の侵食が予想より速くなることがわかり、移転の必要に迫られたのだ。
かつて海のむこう、地平線のはるかかなたにわずかに見えていた白い砂は、少しずつ速度をあげて僕らのほうへ向かってきた。近年つづく異常気象のせいか、地軸の傾きの変化のせいなのかはわからない。
そして砂は地平線とぼくらの間にあった海や、岩礁や、山や、街や、家を、文字通り音もなく侵食していった。
砂が飲みこんだあとには何も残らない。彼らと同じようにさらさらとした乳白色の砂だけがのこる。

僕は園庭のすべり台に手をかける。そこから向こう側にある人工的につくられた山に目をやる。すべり台の一番高いところが目線の高さほどしかないことに驚く。山だと山だと思っていたものが丘程度のものであることに驚く。
ぶらんこに座る。空に放り投げられてしまうと漕いだぶらんこが、僕を載せてこんなにも重く、鈍くしか振れないことに驚く。

僕たちの幼稚園は海のすぐそばにあって、当時僕の住んでいた家は幼稚園に並んで2,3軒先のところにあった。
だから外遊びのために園庭に出て金網に鼻先をくっつけると、まだ存命していた僕の大好きなじいちゃんが薪を割っている姿がしばしば見えた。
じいちゃんも僕らに気づくと園庭の金網に寄ってきて、海を背負いながら、おう、遊んでるか、おうおう、と笑った。
僕はそのたびにじいちゃん、ぼく家に帰りたい、じいちゃんと遊びたい、とせがんだのだそうだ。
そのたびにじいちゃんも涙目で先生たちに、なんとか今日だけ、今日だけこいつを早く帰らせるのをゆるしてくれ、と頭を下げて僕を迎えに来たのよ、と当時の担任の先生は笑って教えてくれた。
潮の匂い。薪ストーブの匂い。僕の手をひくじいちゃんの匂い。



当時のアルバムの顔をみれば、楽しかった日々のほうがたしかに多いはずだ。
なのに今思い出そうとすると、先生に怒られて物置部屋に入れられたことや、泣いたこと悲しかったことばかりが鮮やかに浮かび上がってくるのはどうしてなんだろう。

ピアノの伴奏が鳴る。子どもたちが幼稚園へお別れの歌をうたう。彼らは「歌をうたう」という今この瞬間あたえられた命題に精いっぱい取り組んでいる。きらきらした目はまっすぐ前だけを向いている。

今日という日が終わればいずれこの校舎も白い砂にのまれる。
僕たちの夜の寝息にかき消されて、白い砂の進行はだれにも見えない。聴こえない。
室内用具も園児たちもすっかり高台の幼稚園に移りきったころ、僕の子どもが僕と同じ歳になったころ、僕の子どもと同じ歳の子どもを持ったころ、僕たちはいつの間にかやってきた彼らを初めて振り返り、ああ、と嘆息をもらすだろう。
それでも時おり白い砂の上に降りたち、愛おしそうに手にとって転がすだろう。
うす乳白色のさらさらとした粒子の中にかすかにきらめく、高い高い滑り台を。園庭の巨大な山を。空に届きそうなぶらんこの鎖を。薪ストーブの匂いを、家族の匂いを、それらすべてを包む潮の匂いを。
かつてそこにあったものたちの手触りを。