2014年12月28日日曜日

【習作】クラッシュ

【2778字】
【タイトル:クラッシュ】


「赤ちゃんができたみたいなの」

さやかの言葉に店員の動きがギクリと止まる。彼がテーブルに置こうとしたスカッドミサイルのようなパフェがぐらりとバランスを失い、すんでのところで立て直す。

さすが。このタイミングでこれをいう。
これがさやか。
この女だ。

僕は左手薬指と小指の間の水かきをおしぼりで吹ききってから、ゆっくり顔を上げる。
真正面に座る女神と、この日はじめて目を合わせる。



Parfaits Roll



「赤ちゃんって、先輩の?」

僕は店員がテーブルから去らないうちに聞き返す。

「あたりまえじゃない」

他に誰がいるのよ、と失礼ね、という体でさやかがいう。そのやりとりをまるで聞いていませんでしたよ、という体で店員はごゆっくりどうぞー、と事務的なセリフを吐く。そしてルンバが充電ドックに戻るようにカウンターへ向かっていった。
そうだね。僕とは去年のことだもの。




「井上くんに相談があるの、新しくできたカフェがあるから行かない、小倉パフェが美味しいの」そう誘ってきたのはさやかだった。

6月にしては威勢のよい日差しを抜けて、30段はあるだろう急な石段を僕たちは上った。
運動不足を呪いながら丘の頂上につくと、深い緑の生け垣が目に飛び込んできた。点々とミルクホワイトと紅のバラが緑を彩っていた。生け垣の中にはちょこんと行儀よく、白くて小さいチャペルのような建物がおさまっていた。
リンゴーン、と、鐘の音が頭の中で響いた。



さやかはいわゆる「サークルの姫」だった。
僕が彼女と関係をもったのは去年のサークルの忘年会の夜。誓っていうが、その夜僕は仲間のひとりとして、一紳士として、責任をもって彼女を駅まで送り届ける、ただそれだけのつもりだった。他の奴らの恨めしげな視線が心地よくなかったときかれれば、嘘になるが。
「もう歩けない」と熱っぽく僕のダッフルコートにもたれかかってきたのは彼女だった。見上げるとネオンが手招きしていた。

僕はその夜のことを一生忘れることはないだろう。
シーツと身体の上にたゆたう黒いビロードのような髪。隙間から見える彼女の白磁の肌。その色彩に僕は何度も何度も溺れた。
翌朝、目を覚ますと、さやかの顔が目の前にあった。睫毛は孔雀の羽根のように閉じてなおクレパスのふちを飾り、その寝息は賛美歌のように僕の耳をくすぐった。
僕は胸を震わせた。そして誓った。このか弱い、美しい宝石を、僕は一生かけて守る、守ってみせる、と。

あとから知ったが、当時そう誓ったバカな童貞は僕のほかにもう3人いたそうで。
僕たちを踏み台にして今年の3月、さやかは研究室のOBである26歳ベンチャー企業経営の男の腕の中におさまった。





食べよう食べよう、と、さやかはスプーンをとった。テーブルの上におかれた2つの「mitsuyaスペシャル小倉黒蜜パルフェ〜季節のフルーツをのせて〜」は背の高いグラスの上にさらに渦を巻いていて、目線の高さまで肘を上げないと一口目をすくえない。
なんだっけ、ブルジュ・ハリファ。
僕はドバイにあるという建物を思い出した。あれに似ている。
いずれ消えゆくものなのに、無駄に技巧に凝っている。

「先輩には、伝えたの?」

僕はブルジュ・ハリファを倒さないよう、慎重にスプーンを差し入れる。

「・・・アキくんには、まだなの。仕事が忙しいみたいで、ここしばらく逢ってなくて」

さやかは細長いスプーンを魔法のステッキのように駆使し、優雅に口に運ぶ。妊娠したのに、こんなものを食べても大丈夫なのだろうか。つわりとか。


「2人のことだし、はやめに伝えたほうがいいよ」

「・・・」

さやかの顔色が少し曇った。

「なにか・・・言い出しにくければ、僕から伝えてもいいし」

「ありがとう」

さやかがふっと笑った。

「もつべきものは頼もしい友人ね」

僕は友人とは寝ないけどね。喉にでかかった言葉をコーヒーで流し込む。


彼女にはなにひとつ自覚がない。
自分の欲望に純粋なだけなのだ。他人の甘い部分だけをすくいとって、味わい尽くす。
屍の上に俗性をぬぐい、穢れを知らない巫女のようによりいっそう純化する。
オーガンジーのカフェカーテンをすり抜けて柔らかくなった陽光のかけらが、瑕疵ひとつない彼女の頬に降りそそいでいる。
きれいだ。僕は彼女に喰われていく塔を、あるいは僕を、そして眼前の破壊の女神をうっとりと眺め続けていた。


ちょっと早いけど、お祝いだよ、と僕が会計をすませた。
店を出てさやかは日差しの中うーんとひと伸びし、階段を降りはじめた。

「上ってるときはそんなに感じなかったけど、下りになるとわかるね。わりと急で怖いな」
こつん、こつん、と用心深く、石段を降りるさやかのパンプスの音が、午後の風にのって響く。

僕は彼女のあとをついて石段を降りた。
揺れる黒髪の隙間から、さっき食べたパフェの色に似た、薄いミントグリーンのカーディガンがのぞく。
僕はその下の、いつか見た白磁の背中を思い出そうとした。
そうしているうちに、ある「試み」が僕の胸の中に湧き起こった。

こつん、こつん。

僕が。

こつん、こつん。

僕がもし、今ここで、彼女の背中を押したら?

こつん、こつん。

僕は想起する。
髪を海藻のように泳がせながらゆっくりと、空を掻く彼女を。

こつん、こつん。

着地したコンクリートの上で、いつかのように美しく横たわる彼女を。

こつん、こつん。

君の見開いたままの瞳が最後に映す、僕の顔を。

こつん、こつん。

僕は右手をのばす。

こつん。




突然さやかの顔が僕の目前に現れた。

「びっくりした!」

さやかが叫んだ。とっくに階段は終わっていた。ごめん、と僕はあとずさりして、目を丸くしたままの彼女と距離を取った。

「井上くん、今日は・・・ううん、いつもありがとう。実は私、ちょっと前からアキくんとケンカしてて・・・別れようかって・・・それで、連絡とってなかったの」

さやかが髪を耳にかける。

「でも、赤ちゃんのこと、命のことだから、言わなきゃね」

「井上くんに話してるうちに、ママになるんだからしっかりしなきゃ、ちゃんと向き合わなきゃ、って思えてきて」

「帰ったら、アキくんにもう一度連絡してみる。井上くん、勇気をくれて、ありがとね」

さやかが右手を差し伸べた。
僕は応じようとして差し出した右手をピタリと止め、すぐに降ろして代わりに言った。

「やめておくよ」

さやかの顔色がさっと変わった。

「先輩にちゃんと話して、うまくいって、握手はそれから。ね」

僕の微笑みを見て、さやかはふたたび安堵の表情に戻った。じゃあ、と手を降って、それぞれの駅のホームへとわかれた。

さやかの姿が人混みに消えたのを確認してから、僕はトートバッグの中のウエットティッシュをせわしなく取り出し、シュ、シュシュシュ、と続けざまに5,6枚引き出した。
右手は汗でべっとりと濡れていた。僕はウエットティッシュで手のひらを何度も拭った。拭っても拭っても拭ってもぬめりは取れず、やがてそれは血の色になった。
誰か。だれか僕を助けてほしい。でなければ殺して。さやか、愛している。まだこんなに愛しているのに。

その場に崩れおち、情けなくすすり泣く僕を、通行人たちが避けて足早に通り過ぎていった。



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題詠短歌「なんだか胸がくるしいんです」61−70


061:倉

「赤ちゃんができたみたいなの、そう彼の」小倉パヘ屋でなぜ僕にいう

を基に書いた物語です

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