【題:海つ神】
【文字数:1976字】
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「とうさん、なんでうちには墓が2つあるの」
墓参りの帰り道、手にもつバケツの中の水をちゃぷちゃぷと揺らしながら宏太が聞いた。
宏太に歩幅をあわせていた父は、しばらくうつむいてのち、口をひらいた。
「そうさなあ」
父は左手に広がる穏やかな盆の海に目をやった。
「あれは、無縁仏ととうさんの弟の墓なんだ」
そういって父は、無縁仏にまつわる家のこと、そして自分の弟のことについてぽつぽつと話をはじめた。
勇蔵という漁師の手繰り網に、無縁仏がかかった。
この村でいう無縁仏というのは、身投げや海難事故などで亡くなった遺体が網にかかってくるものだった。
勇蔵はいそいで網から遺体を外そうとした。
網を外していくうち勇蔵がおどろいたことには、上のからだは人間の男のものであったが、下は人のそれとは違うものだった。
太刀魚のようにひょろんとしたものが腰から下にくっついていた。
男にはまだ息があった。臓腑が抉れていた。鮫か何かの仕業だろうか。勇蔵は思った。
男はきれぎれの声で勇蔵にいった。どうか俺を海のみえるところへ葬ってくれ。
勇蔵がわかった、わかったというと、男は自分の右の目玉をくりぬいて勇蔵にわたした。
勇蔵の掌に乗ると目玉はにぶく七色に光をうつす石になり、ころんと転がった。
勇蔵は約束どおりに男のなきがらを海の見えるところへ埋め、無縁仏として供養した。
その年から数年間、勇蔵の出す船はかけるたびかけるたび漁があった。
勇蔵はあの亡骸のおかげだと、男からもらった七色の石を神棚に祀った。
やがて勇蔵に2人の子ができた。
上の子を正晴、下の子を青治といった。
正晴が8つ、青治が5つのときのことだった。青治が高熱を出した。
40度近くの熱が1週間続いたころ、家族の誰もがこれまでかと覚悟した。
正晴は仏壇に祈った。神棚にすがった。
神様、仏様。どうか青治を、弟を助けてください。
俺のたったひとりの弟なんです。
そのとき神棚にあった七色の玉がぱりんと割れた。正晴が見るとそれは光を失いただの石になった。
翌日青治はけろりと熱が治った。
家族のものはみな奇跡だ奇跡だと涙を流して喜んだ。
それから6年がたった。
正晴は、父の勇蔵の船仕事を手伝えるほどにたくましく精悍に育っていた。
正晴は、父の勇蔵の船仕事を手伝えるほどにたくましく精悍に育っていた。
青治は兄とは対のように線が細く、色が白く、顔つきも時おり女の子とまちがわれるほどつるりとしていた。
そのころから、青治におかしなことがおこるようになった。
小学校の同級生は「青治が座ったあとの椅子に鱗が落ちている」といった。
蚊帳の中で布団を並べて正晴といっしょに寝ていたはずなのに、なぜか青治の布団だけが豪雨に降られたかのようにびっしょりと濡れていた。
かと思えば青治の入ったあとの風呂がすっかり干上がっていた。
兄弟で素潜りに行き、向こうの浦で青治が何やらしていると思ってこっそり正晴が近づくと、青治は生魚を頭からばりばりと喰らっていた。
青治を村の子供は気味悪がるようになった。
ある日のことだった。
村の悪餓鬼が取り巻きをつれて青治をとりかこんだ。
「化け物じゃないなら皆の前で裸になれ」とせせら笑った。
青治は服を脱ぐ代わりに悪餓鬼に飛びかかり、耳に歯を立てるとそのまま噛みきろうとした。
悪餓鬼の悲鳴を聞いて通りかかった正晴が、いそいで二人を引き剥がした。
青治は正晴の腕へ噛みついたところではっと我にかえった。
「兄ちゃん」
兄は腕の骨が折れ、悪餓鬼の耳は半分近くまで顔から離れていた。
ある夜のことだった。
叢雲に隠れる月がほんの気まぐれに顔を見せ、むしあつい寝床の蚊帳の中を照らした。
正晴は、となりの布団で寝ていたはずの弟の姿がないことに気づいた。
ざわつく胸をおさえて正晴は、家を出て角を曲がり、浦へ浦へと走った。
小型の船が出入りする浦の入江につくと、青治の後ろ姿がみえた。
夜を映して重油のようになめらかな波の中に、とぷ、とぷと歩いていくところだった。
「青治、いくな、青治」
正晴が声を上げてざぶざぶと海の中へ入ると、青治はうつろに顔をこちらへ向けた。
「くるな、兄ちゃん」
「人の世はたのしかった。お前の弟であることはよろこばしかった」
そういうと青治は、あたまから一気にとぷん、と波の中へ入った。
それきり青治があがってくることはなかった。
「その青治さんて人、どうなったの。死んだの」
宏太が父を見上げていった。
「わからない。すぐに大人も警察も呼んで、探してもらったけど、結局どこにも見つからなかった」
父がこたえた。
「それからしばらくして、じいちゃんと俺が船に乗って、時化に船が流されたことがある」
「でも急に海が凪いで、俺たちは助かったんだ。あれはきっと青治かな」
「でもなあ」
「俺は青治が何者でも、どんな姿でもよかったのになあ」
宏太はそういいながら父がゆっくりとさすっている腕に目をやった。
鱗のようにてんてんと紅い歯型が残るそこに、撫でるように潮風がとおった。
了
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