猫がいる。
いや、正確には猫じゃないかもしれない。
最初に気づいたのは太郎だった。「パパ、なんか変な声がきこえる」と怯えながら俺に訴えてきた。
耳をたててみると、住んでいる借家の、庭に出る裏口側の縁の下方向からたしかになにかの鳴き声がきこえる。
これがまたひどい声だった。季節はもう10月も過ぎる頃だというのに、ぶにゃあ、ゔにゃあと発情期みたいな声を上げている。
「猫って秋にも発情するのか?」俺が訊くと、
「そんなの知らないわよ。でも猫だったら飼いたいわねえ」
「ぼくも猫、飼いたいー」
なんてかみさんと太郎はのほほんとこたえた。
なんてかみさんと太郎はのほほんとこたえた。
あのなあ。
そういって世話するのは結局いつも俺になるじゃないか。カマキリだってカブトムシだって夜店の金魚だって。
さいしょは「飼いたいわー」なんて言ってたかみさんも太郎も、朝晩けたたましい声が二週間ちかく続けばさすがに辟易してきたらしい。
「もうなんとか追っ払ってよ、気味がわるいわ」かみさんがせっつく。
「だから言ったじゃんか、野良は厄介なんだよ」俺は反論しながらしぶしぶと、奴の声のする裏口へとまわる。
最初は「こら!」と声を上げて床をドンと踏み込めば、ぎにゃっと言ってそれきり声をひそめる奥ゆかしさがあった。けれどもそれも3,4日のこと。
「おい!」ドン!
「にゃー!」
「こら!」ドン!
「にゃー!」
「出てけ!」ドン!
「にゃー!」
今じゃ息をひそめるどころか合いの手を入れてきやがる。この野郎。
そのうちに、奴は昼夜を問わずひっきりなしに声を上げるようになった。
その代わりあれだけ喧しかった鳴き声がだんだんとかすれとぎれがちになった。
怪我でもしてるのか。それとも出産とか。
「おーいどうした。どっか悪いのか」俺は裏口から鳴き声のするほうへ呼びかけた。
耳が聴こえていないのかもう俺の声に反応することもなく、ずっと同じ調子で鳴き続けている。
ーーもしかして、終の棲家に選んだのかよ、勘弁してくれ。
俺には奴がどこにいるのかもわからない。古い家なので縁の下の空間は無限にひろがって居る。かすれた声が俺の中に積もる。
数日して、やがて声はきこえなくなった。
かみさんと太郎は奴のことなんかすっかり忘れて、妖怪ウォッチがほしいよお、とか言ってる。
俺は俺で、死んだか、産まれたか、番とどっかいいったかかな。いちばん最後のやつだといいけど。なんてふと思い出したりして、でもそれっきりだった。
秋の最後のからっ風、みたいな朝だった。
玄関の鍵を開けて新聞受けから朝刊を引っこ抜き、スウエット姿のままつっかけサンダルで外に出た。もう寒いっちゃ寒いけど、今年は雪がおそいかもな、みたいなことをぼんやりひとりごちながら、俺はタバコに火をつけ肺いっぱいに冷たい空気と煙を吸い込んだ。
と、公道へとつづく前庭の真ん中にひとつ、見慣れないちんまりとしたものが落ちていた。山吹やえんじ色の枯れ葉にまじって、ごみよりは少し存在感のある、黒っぽい。なんだ?俺は腰をかがめてそのちんまりに近寄った。
ねずみの死骸だった。
うへえ。今までこんなことなかったのに、なんだってこんな、と思った次の瞬間、俺は、あ、と声に出した。
と、公道へとつづく前庭の真ん中にひとつ、見慣れないちんまりとしたものが落ちていた。山吹やえんじ色の枯れ葉にまじって、ごみよりは少し存在感のある、黒っぽい。なんだ?俺は腰をかがめてそのちんまりに近寄った。
ねずみの死骸だった。
うへえ。今までこんなことなかったのに、なんだってこんな、と思った次の瞬間、俺は、あ、と声に出した。
そういえば。もしかして。あいつ?
いやまさか。死んだのかもわからないし。
もし生きてたとしても、単に食い散らかした死骸を置いてったのかもしれないし。
そもそも猫かすらもわからなかったし。
恩義とか?宿の礼とか?いやいや考えすぎだって俺。いやー。
いやー、いやー、といいながら、俺はそのちんまりをちりとりに箒で乗せるとしばらく、庭でたちどまっていた。
今年はもうちょっと、雪がおそいかも、などとひとりごちつつ。
今年はもうちょっと、雪がおそいかも、などとひとりごちつつ。
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