2015年9月30日水曜日

1分小説【お題:魚】ある救い

ガチャピンチャレンジ短編小説300作つくってみようということで、
 10こめ/300作 です。

(1512字。1分ちょっとで読めます)



お題:魚
Title:ある救い


 濁流。濁流。同じところをぐるぐると回り続ける。
「ハリー、あたしたち、いったいいつまでこんなところを進み続ければいいの」
濡れた赤毛を頬にはりつけさせたままのジョアンナが、咳を切ったように口をひらいた。

 気づけばぼくは、箱の中に閉じ込められていた。どうやってここに連れ去られてきたのかはわからない。どうやらここに来る前の記憶を消されているらしい。

「ジョアンナ、もうすこしがんばれ。ここで止まったら溺れ死んでしまうよ」彼女と同じような不安をかかえながらも、ぼくはジョアンナをはげました。

 箱の中にはひたひたの水が張り巡らされ、常に循環していた。清潔ではあるようだけれど、水質も流れも天然のものではないことがわかる。なにか薬品の匂いがする。

 箱のなかにはぼくとジョアンナの他、複数のひとたちがいた。だいたいはぼくらと同じ、10代後半とみられる男女だった。白人、黒人、カラード、とにかくいろんな人種。心なしか、赤毛が多い印象だった。彼ら彼女らはぼくら同様に、なにがおこったのかわからない、という顔のまま、集団をなしてばしゃばしゃと濁流のなかを進んでいた。この事態がよくわかっていないのに進む理由は、ぼくらの前を進む「アグリー」がそう命じたからだ。

「ハリー、ジョアンナ。死にたくなきゃ泳ぐのよ。それから、あんたたち2人はできるだけ隊の真ん中に行きな。赤毛とガタイのいいブラックは目立つからね」
 
 アグリーはぼくらの会話がきこえたらしいが、振り返ることなくまっすぐ前を向いたままそう言った。ここにいるのは10代後半がだいたいと言ったが、例外もいる。ぼくらよりやや年上、20代を過ぎたころと見られる人達も数人この箱の中にいた。そのなかの一人、アグリーを先頭に、濁流の中を突き進んでいた。
アグリーは名前のとおり、顔に大きな傷を持った女性だった。他の年上のやつらも地味な服を着たり、なにかにおびえるように猫背で流れの中を進んでいたりした。彼らはどうやらこのコミュニティの古参で、箱の中の秘密を知っているようだ。

「アグリー、いいかげん教えてちょうだい。いったいこの世界はなんなの、どうしてあたしたちは進まなきゃならないの!」

 ジョアンナは、アグリーの背中に向かって叫んだ。どうやら疲れがピークに達しているようだった。美しい顔を涙に濡らしているのを見て、ぼくも我慢していたものがはちきれた。ぼくは先頭のアグリーのもとに駆け寄って、肩をつかんでいった。

「そうだよ、アグリー。他のみんなも。理由もなく進むなんて、もう
気が狂いそうだ。なにか知ってるんなら教えてくれないか」

 そのときだった。とつぜんうしろから大きな津波が押し寄せた。

「うわあああああ!」
「助けてええ!」

 ぼくが悲鳴に驚いて、押し寄せる濁流のむこうを見ると、そこには巨大な白い円盤がささっていた。隊の後部の若い仲間たちが濁流に飲まれ、もがき、必死に逃げようとしていた。ぼくはあまりの光景に目玉をむき、口をぱくぱくとさせた。なんだ、いったいなにが起きているんだ。
円盤は何かを探すようにゆっくりと波をかきまわすと、逃げそびれたジョアンナをその上に載せ、水面から上がろうとした。

「いやあああ、ハリー!」ジョアンナはぼくに手を伸ばした。
「ジョアンナ!」

「ハリー、いくな!」
 ぼくは制止するアグリーの腕をふりきって流れを逆流し、ジョアンナが伸ばした手をつかんだ。ぼくらふたりを載せた円盤はどんどん上空へ引き上げられた。青。橙。黄色。目をつぶすほどのまぶしい光、光、そして熱。
 ぼくとジョアンナは手を握りあった。



「おとうさん、やったー!金魚、二匹もすくえたよ!」
「おっ、ほんとだ。コメットとデメキンのペアなんて珍しいな。ちゃんとお世話しようなー」


<おわり>

2015年1月8日木曜日

題詠短歌2015参加します

参加受付 - 題詠blog2015







題詠短歌2015参加します。
卯野と申します。今年は完走できるかな。


ところでBloggerはトラックバック機能なかったので下記を試してみました。
クリボウさんという個人の方が作成したBlogger用のトラバ送受信ツール。

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2014年12月28日日曜日

【習作】クラッシュ

【2778字】
【タイトル:クラッシュ】


「赤ちゃんができたみたいなの」

さやかの言葉に店員の動きがギクリと止まる。彼がテーブルに置こうとしたスカッドミサイルのようなパフェがぐらりとバランスを失い、すんでのところで立て直す。

さすが。このタイミングでこれをいう。
これがさやか。
この女だ。

僕は左手薬指と小指の間の水かきをおしぼりで吹ききってから、ゆっくり顔を上げる。
真正面に座る女神と、この日はじめて目を合わせる。



Parfaits Roll



「赤ちゃんって、先輩の?」

僕は店員がテーブルから去らないうちに聞き返す。

「あたりまえじゃない」

他に誰がいるのよ、と失礼ね、という体でさやかがいう。そのやりとりをまるで聞いていませんでしたよ、という体で店員はごゆっくりどうぞー、と事務的なセリフを吐く。そしてルンバが充電ドックに戻るようにカウンターへ向かっていった。
そうだね。僕とは去年のことだもの。




「井上くんに相談があるの、新しくできたカフェがあるから行かない、小倉パフェが美味しいの」そう誘ってきたのはさやかだった。

6月にしては威勢のよい日差しを抜けて、30段はあるだろう急な石段を僕たちは上った。
運動不足を呪いながら丘の頂上につくと、深い緑の生け垣が目に飛び込んできた。点々とミルクホワイトと紅のバラが緑を彩っていた。生け垣の中にはちょこんと行儀よく、白くて小さいチャペルのような建物がおさまっていた。
リンゴーン、と、鐘の音が頭の中で響いた。



さやかはいわゆる「サークルの姫」だった。
僕が彼女と関係をもったのは去年のサークルの忘年会の夜。誓っていうが、その夜僕は仲間のひとりとして、一紳士として、責任をもって彼女を駅まで送り届ける、ただそれだけのつもりだった。他の奴らの恨めしげな視線が心地よくなかったときかれれば、嘘になるが。
「もう歩けない」と熱っぽく僕のダッフルコートにもたれかかってきたのは彼女だった。見上げるとネオンが手招きしていた。

僕はその夜のことを一生忘れることはないだろう。
シーツと身体の上にたゆたう黒いビロードのような髪。隙間から見える彼女の白磁の肌。その色彩に僕は何度も何度も溺れた。
翌朝、目を覚ますと、さやかの顔が目の前にあった。睫毛は孔雀の羽根のように閉じてなおクレパスのふちを飾り、その寝息は賛美歌のように僕の耳をくすぐった。
僕は胸を震わせた。そして誓った。このか弱い、美しい宝石を、僕は一生かけて守る、守ってみせる、と。

あとから知ったが、当時そう誓ったバカな童貞は僕のほかにもう3人いたそうで。
僕たちを踏み台にして今年の3月、さやかは研究室のOBである26歳ベンチャー企業経営の男の腕の中におさまった。





食べよう食べよう、と、さやかはスプーンをとった。テーブルの上におかれた2つの「mitsuyaスペシャル小倉黒蜜パルフェ〜季節のフルーツをのせて〜」は背の高いグラスの上にさらに渦を巻いていて、目線の高さまで肘を上げないと一口目をすくえない。
なんだっけ、ブルジュ・ハリファ。
僕はドバイにあるという建物を思い出した。あれに似ている。
いずれ消えゆくものなのに、無駄に技巧に凝っている。

「先輩には、伝えたの?」

僕はブルジュ・ハリファを倒さないよう、慎重にスプーンを差し入れる。

「・・・アキくんには、まだなの。仕事が忙しいみたいで、ここしばらく逢ってなくて」

さやかは細長いスプーンを魔法のステッキのように駆使し、優雅に口に運ぶ。妊娠したのに、こんなものを食べても大丈夫なのだろうか。つわりとか。


「2人のことだし、はやめに伝えたほうがいいよ」

「・・・」

さやかの顔色が少し曇った。

「なにか・・・言い出しにくければ、僕から伝えてもいいし」

「ありがとう」

さやかがふっと笑った。

「もつべきものは頼もしい友人ね」

僕は友人とは寝ないけどね。喉にでかかった言葉をコーヒーで流し込む。


彼女にはなにひとつ自覚がない。
自分の欲望に純粋なだけなのだ。他人の甘い部分だけをすくいとって、味わい尽くす。
屍の上に俗性をぬぐい、穢れを知らない巫女のようによりいっそう純化する。
オーガンジーのカフェカーテンをすり抜けて柔らかくなった陽光のかけらが、瑕疵ひとつない彼女の頬に降りそそいでいる。
きれいだ。僕は彼女に喰われていく塔を、あるいは僕を、そして眼前の破壊の女神をうっとりと眺め続けていた。


ちょっと早いけど、お祝いだよ、と僕が会計をすませた。
店を出てさやかは日差しの中うーんとひと伸びし、階段を降りはじめた。

「上ってるときはそんなに感じなかったけど、下りになるとわかるね。わりと急で怖いな」
こつん、こつん、と用心深く、石段を降りるさやかのパンプスの音が、午後の風にのって響く。

僕は彼女のあとをついて石段を降りた。
揺れる黒髪の隙間から、さっき食べたパフェの色に似た、薄いミントグリーンのカーディガンがのぞく。
僕はその下の、いつか見た白磁の背中を思い出そうとした。
そうしているうちに、ある「試み」が僕の胸の中に湧き起こった。

こつん、こつん。

僕が。

こつん、こつん。

僕がもし、今ここで、彼女の背中を押したら?

こつん、こつん。

僕は想起する。
髪を海藻のように泳がせながらゆっくりと、空を掻く彼女を。

こつん、こつん。

着地したコンクリートの上で、いつかのように美しく横たわる彼女を。

こつん、こつん。

君の見開いたままの瞳が最後に映す、僕の顔を。

こつん、こつん。

僕は右手をのばす。

こつん。




突然さやかの顔が僕の目前に現れた。

「びっくりした!」

さやかが叫んだ。とっくに階段は終わっていた。ごめん、と僕はあとずさりして、目を丸くしたままの彼女と距離を取った。

「井上くん、今日は・・・ううん、いつもありがとう。実は私、ちょっと前からアキくんとケンカしてて・・・別れようかって・・・それで、連絡とってなかったの」

さやかが髪を耳にかける。

「でも、赤ちゃんのこと、命のことだから、言わなきゃね」

「井上くんに話してるうちに、ママになるんだからしっかりしなきゃ、ちゃんと向き合わなきゃ、って思えてきて」

「帰ったら、アキくんにもう一度連絡してみる。井上くん、勇気をくれて、ありがとね」

さやかが右手を差し伸べた。
僕は応じようとして差し出した右手をピタリと止め、すぐに降ろして代わりに言った。

「やめておくよ」

さやかの顔色がさっと変わった。

「先輩にちゃんと話して、うまくいって、握手はそれから。ね」

僕の微笑みを見て、さやかはふたたび安堵の表情に戻った。じゃあ、と手を降って、それぞれの駅のホームへとわかれた。

さやかの姿が人混みに消えたのを確認してから、僕はトートバッグの中のウエットティッシュをせわしなく取り出し、シュ、シュシュシュ、と続けざまに5,6枚引き出した。
右手は汗でべっとりと濡れていた。僕はウエットティッシュで手のひらを何度も拭った。拭っても拭っても拭ってもぬめりは取れず、やがてそれは血の色になった。
誰か。だれか僕を助けてほしい。でなければ殺して。さやか、愛している。まだこんなに愛しているのに。

その場に崩れおち、情けなくすすり泣く僕を、通行人たちが避けて足早に通り過ぎていった。



ーーーー





題詠短歌「なんだか胸がくるしいんです」61−70


061:倉

「赤ちゃんができたみたいなの、そう彼の」小倉パヘ屋でなぜ僕にいう

を基に書いた物語です

2014年12月13日土曜日

【習作】夜の浦

【タイトル】夜の浦
【文字数】2881字

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希江がこの街からいなくなって、今年でちょうど15回めの冬だ。
僕は毎年帰省のたび立ち寄る浦の雪を、この土地にはそぐわないショートブーツで踏みしめる。マフラー越しに吐く息が目の前を曇らせる。
夜の浦のむこうを見つめる。


The land of ice

希江の父親が死んだ、という知らせがこの小さな港町を走ったのは、大人たちが「さあ鰊漁だ」と目を血走らせはじめたころ、そして僕たち受験生がもう志望校を変更できない、と覚悟を決めた11月も終わりの頃だった。
突然の仲間内の訃報に、町は水を打ったように静まりかえった。対照的に、火葬から葬儀までのいっさいがあわただしく通り過ぎた。今思えばそれは、埋まった何かを掘り返されないうちにブルドーザーで更地にしようとするような、彼の存在をはじめからなかったことにしたいかのような、そんな速さだった。

希江の家と僕の家とは小さな浦に面した同じ並びにあった。幼なじみで同級生だった。物心つく前からうんざりするほど希江の顔を見てきたつもりだった。だから火葬場で数日ぶりに彼女を見たとき、僕の心臓はえぐられるような、という形容の痛みを初めて覚えた。
小さな頃から勝ち気で生意気な、僕の知っている希江はもうそこにはいなかった。
いたのは、泣き続ける母親のとなりで、いっさいの他人を拒んでいた一人の少女だった。斜め下に伏せた彼女の瞳にはなにも映っていなかった。自分の父が燃える、ごうごうという音だけを背負って、ただ精一杯そこに立っていた。

おじさんの死がどうやら自死らしいこと、隣町の廃工場の空き倉庫で倒れていたのを近所の者が見つけたこと、傍らに農薬が転がっていたこと、そこにはおじさんともう一人、女の人が倒れていたらしいこと。それらが他人の声に乗って僕の耳に入ったのは、葬式が終わって2週間後のことだった。



「信吾くん、しばらく希江といっしょに学校にいってくれない。受験の前まででいいから」
希江の母と僕の両親からそう頼まれるまでもなく、葬式が終わってから僕と希江はどちらともなく登下校の時間を合わせるようになった。
あの日から希江はほとんど口をきかなくなった。それでも休まずに学校に足を運んだのは、きっと母親に心配をかけまいとしてだろう。頼みにきたおばさんも別人のようにやつれていた。すがるような目が痛ましかった。

僕たちは無言で浦沿いの細道を踏みしめた。浦の傍らには枯れすすきが揺れていた。霜でせり上がった土の上に白い雪がうっすらと降って、朝は歩くたびぱきぱきと真新しい音がブーツの下から体に響いた。授業と補習が終わって帰る頃には、それらが無残に鰊漁の軽トラで踏みにじられ、汚され、ぼこぼことした轍になって、街灯のない夜の道をいっそういらだたせた。もしかしたら希江とおばさんは、おじさんといっしょに死んでいたという女のことをずっと前から知っていたのかもしれない。希江にかけるべき言葉は授業でも模試でも習わなかった。


いつもの帰り道のことだった。
希江はふと歩みをとめて、枯れすすきの向こうの浦の海に顔を向けた。
そのまま希江は浦へとボアブーツを進めていった。かつては小さな手繰り船も出入りした浦だ、と僕は死んだじいちゃんから何度もきかされていた。でも砂が堆積した今では、この時期だけの鰊漁の船外機が出入りするのがやっとの小さな浦だ。
その日の海はめずらしく浜風がなかった。落ちてくる柔らかい綿雪が見えた。海は浜沿いの家の灯りにところどころ反射して、なめらかな水面を垣間見せていた。雪は音もなく海面にすいこまれて、溶けてを繰り返していた。暗闇の向こうには鰊漁の網を刺した位置を示す、か弱い目印灯の点滅だけがあった。希江はなにかにでも呼ばれているかのように、波際に向かってまっすぐさく、さくと音をたてながら歩いていった。僕は希江のあとについて雪を割って歩いた。
希江は波打ち際の手前の雪の小山で歩みを停めた。その下には1年間のあいだに流れ着いた流木や、大陸からのゴミが堆積していた。

僕は希江を見た。希江はマフラーの上から白い息を吐いて海のほうをまっすぐ見ていた。
しばらく黙っていたが、いつまでも希江が動かないのと、つま先から鼻先から、じわじわと寒さがからだを覆ってくる感覚とにじれったくなり、僕は思わず声をかけた。

「希江、帰るぞ」

希江はゆっくりとまばたきをして、僕に振り返りからだ全体を向けた。そして自分の両手を伸ばし、僕の右手をつつんだ。

「つめたい。手袋しなよ」

希江は僕にいった。そういう希江の指先も裸だった。
僕の手よりもずっと冷たかった。希江は僕の手をとったまま、無言で僕の掌に視線を落としていた。
不思議と波の音はなかった。かわりにさらさらと雪が落ちる音だけがした。
希江のまつ毛にわた雪がのっていた。口元は少し開いては閉じる、を繰り返していた。言うべき言葉のかたちを唇が忘れてしまった、そんな風に。


僕は息がつまりそうになった。このままずっと続くのかと思うほど、ながいながい時間に感じられた。

「お前がしたら俺もするよ。行こうぜ」

僕はしぼりだすように声を出した。それ以上の沈黙にたえられなかった。

「・・・」

「帰るぞ」

「どこに」

「どこにって、じぶんちだよ。風邪ひいて死んじまうぞ」

「死んだっていいじゃない」

瞬間、僕は右手を引いた。無意識だった。うつむいていた希江がゆっくりと僕の手のあった場所から顔をあげ、正面から僕と目を合わせた。

「あんたは困るか」

もう少しで泣き出しそうな顔を希江はしていた。僕と海にくるりと背を向けると、ざくざくと早足で家路へ歩みを戻そうとした。

「希江」僕は彼女の背中に呼びかけた。

「志望校、変えてないよな。T高、行くよな」

希江は歩みを停めた。背中を向けたまま、声を張ってこたえた。

「行くよ。志望校は変えない。あんたと同じT高を受ける」

どんな顔をしているのかは見えなかった。





希江とおばさんが埼玉へ引っ越しをしたのは、年が明けてすぐのことだった。
希江の叔父の近くで住むことになった、希江は埼玉の高校へ通う、今までありがとう、黙って行くことになってしまい申し訳ない、という内容の手紙が、おばさんの名前で僕宛に届いた。消印は川越だった。

僕はT高へ進学し、東京の大学へ進学、そのまま関東で就職した。希江のことは中学校の同窓会を開いて数年は、「◯で見かけた」「高校を中退してホステスになっているらしい」「大学でミスコン1位になったらしい」「結婚してもう子供もいるらしい」などと酒の話題になった。けれど、みんな自分たちが子供をもつくらいの年齢になると、もう希江がいたことすらも忘れてしまったようだった。

僕は数年前から正月ではなく、12月の初めに休暇をとって帰省するようになった。
浦の向こうに見える鰊漁の漁火は帰るごとに少なくなっていく。希江の家は相変わらず寂れた空き家のままだった。浦から吹く潮のにおいと浜風の厳しさを、僕のからだは年々忘れていく。
それでも僕は、毎年この浦で希江の姿を探してしまう。もしかしたら15の姿のままの希江が、あの流木たちといっしょに雪に覆われて、今もそこにひとり置き去りにされて、立ち尽くしたままいるのではないかと、探さずにはいられないのだ。


























2014年11月21日金曜日

【習作】猫や



【タイトル:猫や】
【文字数:1392字】




credit: Mr.NG via FindCC


猫がいる。
いや、正確には猫じゃないかもしれない。

最初に気づいたのは太郎だった。「パパ、なんか変な声がきこえる」と怯えながら俺に訴えてきた。


耳をたててみると、住んでいる借家の、庭に出る裏口側の縁の下方向からたしかになにかの鳴き声がきこえる。
これがまたひどい声だった。季節はもう10月も過ぎる頃だというのに、ぶにゃあ、ゔにゃあと発情期みたいな声を上げている。
「猫って秋にも発情するのか?」俺が訊くと、
「そんなの知らないわよ。でも猫だったら飼いたいわねえ」
「ぼくも猫、飼いたいー」
なんてかみさんと太郎はのほほんとこたえた。
あのなあ。
そういって世話するのは結局いつも俺になるじゃないか。カマキリだってカブトムシだって夜店の金魚だって。

さいしょは「飼いたいわー」なんて言ってたかみさんも太郎も、朝晩けたたましい声が二週間ちかく続けばさすがに辟易してきたらしい。
「もうなんとか追っ払ってよ、気味がわるいわ」かみさんがせっつく。
「だから言ったじゃんか、野良は厄介なんだよ」俺は反論しながらしぶしぶと、奴の声のする裏口へとまわる。

最初は「こら!」と声を上げて床をドンと踏み込めば、ぎにゃっと言ってそれきり声をひそめる奥ゆかしさがあった。けれどもそれも3,4日のこと。

「おい!」ドン!
「にゃー!」

「こら!」ドン!
「にゃー!」

「出てけ!」ドン!
「にゃー!」

今じゃ息をひそめるどころか合いの手を入れてきやがる。この野郎。



そのうちに、奴は昼夜を問わずひっきりなしに声を上げるようになった。
その代わりあれだけ喧しかった鳴き声がだんだんとかすれとぎれがちになった。
怪我でもしてるのか。それとも出産とか。

「おーいどうした。どっか悪いのか」俺は裏口から鳴き声のするほうへ呼びかけた。
耳が聴こえていないのかもう俺の声に反応することもなく、ずっと同じ調子で鳴き続けている。

ーーもしかして、終の棲家に選んだのかよ、勘弁してくれ。
俺には奴がどこにいるのかもわからない。古い家なので縁の下の空間は無限にひろがって居る。かすれた声が俺の中に積もる。

数日して、やがて声はきこえなくなった。
かみさんと太郎は奴のことなんかすっかり忘れて、妖怪ウォッチがほしいよお、とか言ってる。
俺は俺で、死んだか、産まれたか、番とどっかいいったかかな。いちばん最後のやつだといいけど。なんてふと思い出したりして、でもそれっきりだった。



秋の最後のからっ風、みたいな朝だった。
玄関の鍵を開けて新聞受けから朝刊を引っこ抜き、スウエット姿のままつっかけサンダルで外に出た。もう寒いっちゃ寒いけど、今年は雪がおそいかもな、みたいなことをぼんやりひとりごちながら、俺はタバコに火をつけ肺いっぱいに冷たい空気と煙を吸い込んだ。
と、公道へとつづく前庭の真ん中にひとつ、見慣れないちんまりとしたものが落ちていた。山吹やえんじ色の枯れ葉にまじって、ごみよりは少し存在感のある、黒っぽい。なんだ?俺は腰をかがめてそのちんまりに近寄った。

ねずみの死骸だった。


うへえ。今までこんなことなかったのに、なんだってこんな、と思った次の瞬間、俺は、あ、と声に出した。


そういえば。もしかして。あいつ? 


いやまさか。死んだのかもわからないし。
もし生きてたとしても、単に食い散らかした死骸を置いてったのかもしれないし。
そもそも猫かすらもわからなかったし。
恩義とか?宿の礼とか?いやいや考えすぎだって俺。いやー。

いやー、いやー、といいながら、俺はそのちんまりをちりとりに箒で乗せるとしばらく、庭でたちどまっていた。
今年はもうちょっと、雪がおそいかも、などとひとりごちつつ。













2014年11月18日火曜日

【習作】深海魚たち


【タイトル】深海魚たち
【文字数】1087字

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ーー深海魚、知ってる? エソとか。
夜中のアパートの玄関先でする話じゃないって? 
まあ聞けよ。

深海魚の種類でさ、雄とか雌とかあんま決まってないのがいるんだって。

相手と出逢ったら、どっちが雄でも雌でも子孫を残せるように、そんなシステムらしい。

深くて広くて暗い海の底で、同種と遭遇する確率がすごく低いから。

そういう種類の中には、相手が見つかったら、もう離れないようにそのまま相手の身体にくっついて吸収されちゃって、自分がなくなっちゃう奴もいる。

もうちょい浮上して相手見つけたらって思うんだけど、まあ臆病なんだろうな。

そうやって、一生出逢えないかもわからない相手を、暗い海の底でひとりで待ってる。





ーー俺さ、

俺さ、お前にとってずっといい友だちのままでいる自信あったんだよ。

頭の中で何べんも何べんも繰り返し練習したんだ。

大学出て、社会人になって、

お前がいつか彼女を俺の前に連れてきたとき笑って挨拶するシーンとか、

お前の結婚式で友人代表でおめでとうってスピーチするシーンとか、

お前と嫁さんの間に子供が生まれて、その子に「おじちゃんからだよ」ってお年玉渡すシーンとか。



完璧に演じられると思った。墓まで持っていけるぜって。

どういう形でも良かったんだよ。お前のそばにいられるんだったら。

お前が俺から離れていかないなら。


だからなんであの時お前の手を握っちゃったのか、自分でもわからなかった。

お前が泣いてたからかもしれない。



お前がさっと手を引いた瞬間に、あー終わったなって思った。


今までこんなに慎重に積みあげてきたのに、たった一瞬でぜんぶ失っちゃうんだなって。

酒のせいだったって言えばよかった。
でも言えなかった。

お前に申し訳ないって思う以上に、俺しか知らない俺の気持ちを、嘘だって言葉にしてしまえば、俺があんまり可哀想だって思った。



ごめんな。





携帯に電話しても出ないし大学でも遭わないし、ああこのまま終わるんだなって思った。

もうこのまま顔をあわせることもなく卒業して、

お前の中では俺なんか最初から出逢ってすらいなかったことになってて、

俺は、少しずつ壊死してくみたいに、あのときのお前の掌の温度だけをたまに思い出しながら生きてくんだろうなって。







だから、







だから、お前が、なんで今ここにいるのかわからない。

こんな時間にひでぇ顔で泣きながら俺のアパート訪ねてきてるのかわからない。

うるせえ寒いから中でコーヒー飲ませろってぐしゃぐしゃの顔で俺のこと罵倒してるのかわからない。


とりあえず俺もさみぃしコーヒーは淹れるけど、俺も今お前以上に顔ぐしゃぐしゃな自信あるから、


灯り点けるのは、もうちょっとだけ勘弁してくれ。



















2014年11月1日土曜日

【習作】海つ神

【題:海つ神】
【文字数:1976字】


__________


「とうさん、なんでうちには墓が2つあるの」

墓参りの帰り道、手にもつバケツの中の水をちゃぷちゃぷと揺らしながら宏太が聞いた。
宏太に歩幅をあわせていた父は、しばらくうつむいてのち、口をひらいた。
「そうさなあ」
父は左手に広がる穏やかな盆の海に目をやった。
「あれは、無縁仏ととうさんの弟の墓なんだ」
そういって父は、無縁仏にまつわる家のこと、そして自分の弟のことについてぽつぽつと話をはじめた。



Is that how the gods do it?


勇蔵という漁師の手繰り網に、無縁仏がかかった。
この村でいう無縁仏というのは、身投げや海難事故などで亡くなった遺体が網にかかってくるものだった。
勇蔵はいそいで網から遺体を外そうとした。
網を外していくうち勇蔵がおどろいたことには、上のからだは人間の男のものであったが、下は人のそれとは違うものだった。
太刀魚のようにひょろんとしたものが腰から下にくっついていた。

男にはまだ息があった。臓腑が抉れていた。鮫か何かの仕業だろうか。勇蔵は思った。


男はきれぎれの声で勇蔵にいった。どうか俺を海のみえるところへ葬ってくれ。
勇蔵がわかった、わかったというと、男は自分の右の目玉をくりぬいて勇蔵にわたした。
勇蔵の掌に乗ると目玉はにぶく七色に光をうつす石になり、ころんと転がった。

勇蔵は約束どおりに男のなきがらを海の見えるところへ埋め、無縁仏として供養した。

その年から数年間、勇蔵の出す船はかけるたびかけるたび漁があった。
勇蔵はあの亡骸のおかげだと、男からもらった七色の石を神棚に祀った。


やがて勇蔵に2人の子ができた。
上の子を正晴、下の子を青治といった。
正晴が8つ、青治が5つのときのことだった。青治が高熱を出した。
40度近くの熱が1週間続いたころ、家族の誰もがこれまでかと覚悟した。

正晴は仏壇に祈った。神棚にすがった。
神様、仏様。どうか青治を、弟を助けてください。
俺のたったひとりの弟なんです。

そのとき神棚にあった七色の玉がぱりんと割れた。正晴が見るとそれは光を失いただの石になった。
翌日青治はけろりと熱が治った。
家族のものはみな奇跡だ奇跡だと涙を流して喜んだ。


それから6年がたった。
正晴は、父の勇蔵の船仕事を手伝えるほどにたくましく精悍に育っていた。
青治は兄とは対のように線が細く、色が白く、顔つきも時おり女の子とまちがわれるほどつるりとしていた。

そのころから、青治におかしなことがおこるようになった。
小学校の同級生は「青治が座ったあとの椅子に鱗が落ちている」といった。
蚊帳の中で布団を並べて正晴といっしょに寝ていたはずなのに、なぜか青治の布団だけが豪雨に降られたかのようにびっしょりと濡れていた。
かと思えば青治の入ったあとの風呂がすっかり干上がっていた。
兄弟で素潜りに行き、向こうの浦で青治が何やらしていると思ってこっそり正晴が近づくと、青治は生魚を頭からばりばりと喰らっていた。

青治を村の子供は気味悪がるようになった。
ある日のことだった。
村の悪餓鬼が取り巻きをつれて青治をとりかこんだ。
「化け物じゃないなら皆の前で裸になれ」とせせら笑った。
青治は服を脱ぐ代わりに悪餓鬼に飛びかかり、耳に歯を立てるとそのまま噛みきろうとした。
悪餓鬼の悲鳴を聞いて通りかかった正晴が、いそいで二人を引き剥がした。
青治は正晴の腕へ噛みついたところではっと我にかえった。
「兄ちゃん」
兄は腕の骨が折れ、悪餓鬼の耳は半分近くまで顔から離れていた。


ある夜のことだった。
叢雲に隠れる月がほんの気まぐれに顔を見せ、むしあつい寝床の蚊帳の中を照らした。
正晴は、となりの布団で寝ていたはずの弟の姿がないことに気づいた。
ざわつく胸をおさえて正晴は、家を出て角を曲がり、浦へ浦へと走った。

小型の船が出入りする浦の入江につくと、青治の後ろ姿がみえた。
夜を映して重油のようになめらかな波の中に、とぷ、とぷと歩いていくところだった。

「青治、いくな、青治」

正晴が声を上げてざぶざぶと海の中へ入ると、青治はうつろに顔をこちらへ向けた。

「くるな、兄ちゃん」

「人の世はたのしかった。お前の弟であることはよろこばしかった」

そういうと青治は、あたまから一気にとぷん、と波の中へ入った。

それきり青治があがってくることはなかった。





「その青治さんて人、どうなったの。死んだの」

宏太が父を見上げていった。
「わからない。すぐに大人も警察も呼んで、探してもらったけど、結局どこにも見つからなかった」
父がこたえた。
「それからしばらくして、じいちゃんと俺が船に乗って、時化に船が流されたことがある」
「でも急に海が凪いで、俺たちは助かったんだ。あれはきっと青治かな」
「でもなあ」
「俺は青治が何者でも、どんな姿でもよかったのになあ」

宏太はそういいながら父がゆっくりとさすっている腕に目をやった。
鱗のようにてんてんと紅い歯型が残るそこに、撫でるように潮風がとおった。