2014年10月31日金曜日

【習作】水彩の手紙



拝啓

育子さん、お久しぶりのお手紙です。そちらはおかわりありませんか? 仙台と営業にはもう慣れたでしょうか。 
私もこちらに戻って警察官になって、早いものでもう4回目の冬を迎えようとしています。
ということは、私と育子さんが出逢ってから8年になるんですね。
あなたと過ごした大学の4年間はあんなにゆっくりと過ぎていったのに、と驚く日々です。

前回の手紙からかなり間が空いてしまいましたね。そのあいだのことを少し書きたいと思います。

彼氏は相変わらずできません。そのあいだに私は昇進試験を受けて、あこがれていた刑事になりました。でも今は生活安全課にいます。
刑事課に女子は私ひとりでした。たしかに昼も夜も非番も関係なくてハードです。だから彼氏をつくる暇もなかったし。言い訳だけど。
卒業間際に、育子さんは白木屋で私に「刑事なんてむいてないからやめろ」と言いましたね。覚えてますか?
いま思えばあなたの見立ては正解でした。私は刑事に、もっというとこの仕事にはむいていなかったのかもしれません。

刑事の職場ではたくさんのものを見ました。工場の機械にはさまれて上と下に分かれた人も見ました。
でも見るのがつらかったのは遺体じゃなかった。
見るのがつらかったのは、人が人にむけた悪意でした。そしてそれを肴に酒を飲む同僚や上司たちでした。
それらに毎日まいにち触れるのがこわかった。自分の中になにかがどんどん流れこんでいく感じがしました。

今の課でもその作業がないわけではありません。
けれど、痴漢やストーカーといった女性犯罪の被害者へ、同性として貢献できていると実感できることが多くて、それが救いかな。


同封した写真は、ゴールデンウィークに行った宇曽利湖です。
うすい桜色や灰色や象牙色や浅葱色や、いろんな色が霧に濡れたように滲んでまじって、空と湖面の境界線がわからないでしょう。湖だっていわれないとわからないよね。
こんな風にみえるのはこの時期だけなんだって、案内の人に教えてもらいました。
プリントアウトした写真をみたらなんとなく、育子さんと飲んでいた頃のことを思い出しました。

また朝まで飲みたいですね。でももうあのとき話してたこととは、きっと違う話になってしまうのかな。
この手紙は出せるかな。出せなかったら、また書きます。
それでは、身体に気をつけて。


                                    敬具




2014年10月22日水曜日

【習作】遁走癖

【文字数:1880字】
【読了時間:約2分】
※内容に一部性的描写を含みます。ご注意ください



毎年蝉が鳴きはじめるころになるとそれはやってきた。
灯子がはっきりと自分の癖だと自覚したのは社会人になってからだった。
気づくと新幹線に飛び乗り、無人駅に立っていた。男の迎えを待っていた。




小雨がふっていた。
男は傘をさして駅の入り口に立っていた。灯子を見つけると大きく手を降った。

「会社はいいの?」男が灯子を傘のなかに入れながらきく。
「うん、1週間休みなの。」灯子は男の顔を見上げながらこたえる。

背の高い男だった。襟の伸びたシャツを着ていた。男自体が廂のようだった。
身体を少し折り曲げて灯子の歩幅にあわせていた。

駅から男の家まで歩くあいだ、一軒家の脇の小さな畑のそばを通った。畝と腰くらいまでの蔓植物があった。紋白蝶が葉の中で雨しのぎをしているのがみえた。

ーートウキョウにも無人駅とか、畑とかあるんだね。
ーーあるよお。もうちょっといけば、田んぼもあるよ。
ーーモンシロチョウも飛ぶんだね。
ーー飛ぶよお。灯子ちゃん、トウキョウどんなとこだと思ってたの。

男と話しているあいだじゅう、灯子の携帯電話が鳴っていた。
開くと恋人の名前が連なっていた。恋人には連絡をしていなかった。灯子は携帯の音量を消してバッグにしまった。

男の家は一軒家の借家だった。中に入ると畳の部屋にウッドベースがあった。
「デブ子ちゃんていうんだ。官能的でしょ」 男はいった。
滑らかな光沢と曲線だった。居間の半分近くを占めていた。馬色の木目に窓の外の木々の緑がうつりこんでいた。
ほかにキーボードと、機材と、天井まで届く書棚があった。
書棚には灯子の知らないCDがあった。天井までつまっていた。

男は灯子に野菜スープを煮た。
「灰汁はとらないんだおれ。これも栄養なんだって。にんにくすごい入れちゃったけどいいよね」
器によそいながら男はひとりでしゃべった。
少し開けた窓から湿った風にのって、濃い緑の匂いがした。その向こうには星がみえた。
灯子は窓の外をみながら汁をすすった。



男は灯子のからだを触った。どちらともなく触った。
こどもがはじめてものを触るようにひとつひとつ灯子のかたちをなぞった。男は灯子のからだをほめた。

ーーきれいだね。やわらかいね。ここは気持ちいい? じゃあここは?

灯子は男からからだをほめられるのが心地よかった。器として自分はうまくやれている。そう思うと灯子は安心できた。声を出して背中をそらせた。



「おれねえいま離婚調停中なの」男は軒下の餌場に餌をまきながらいった。

「結婚する気なかったんだよもともと。誰とも。呼ばれて行った店に彼女と彼女の両親が座っててさあ。『今ここであいさつしてよ』って彼女が泣きだしちゃって。
それ見たご両親も、7年つきあって、これから先どうするつもりだ、なんてすごい剣幕で怒りだしちゃってさあ」
明け方にはやんだらしい雨がつくった水たまりに、こぼれた餌が浮かぶ。雀がやってきてつついていく。

ーーかわいいでしょ。雀、だいぶ慣れてくれて。十姉妹とかたまにくるよお。

男は昨夜の灯子をみた目つきで鳥たちを眺める。
「でもだめだね、もともとする気ないのがムリして結婚生活なんかできるわけないよね、別々に暮らしてもう何年も経ってるのに、どうしても離婚届けに判、押してくれなくて」

「おれねえそれでも彼女のことは好きだったんだよ。おれなりに。
鳥もデブ子もウッドベースも音楽も好き。野菜スープも好き。灯子ちゃんも好き。
そんなんだからきっとこれから他の女の子たちのことも好きになると思う。
どうしてみんな好きなものをひとつだけ決めろっていうんだろうね」

男は居間の軒下に腰かけたまま飛んできては去っていく雀たちを眺めていった。
灯子はそれをくたびれたソファに寝ころがりながらきいた。
ききながら、恋人とバッグに入れたままの携帯電話のことを思い出した。


どうして好きなものをひとつに決めろっていうんだろう。


灯子は想像する。
男のひとつだけになりたいと泣く彼の奥さんの姿を。なんで電話にでないんだ、どうしてだまっていなくなるんだ、と携帯の向こうで責める自分の恋人の姿を。音楽やウッドベースや野菜スープとひとしく男の部屋でころがる自分の姿を。
男はきっと灯子に、自分のことをいちばんにしろとは言わないだろう。灯子も男に自分のいちばんになってほしいとは思わない。
それでもいっしょに居たら、いつか役割がほしくなるかもしれない。それらが窮屈になってまた逃げ出したくなったりするかもしれない。灯子はゆっくりとまばたきをした。

日が高くなって、大きく開けた窓から入る湿った土と緑の匂いが強くなる。蝉の声が響きはじめる。









ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





2014年10月16日木曜日

【習作】汝の名は光

【タイトル】汝の名は光

【文字数】4127文字
【読了時間】約8分




10月1日

ジョージ(仮)がうごめく。腹のなかで。

今日はここへ到着してもう3度めだ。新しい環境におびえているのかジョージよ。いやお前のことだから楽しんでるんだろうジョージよ。アテレコするならさしずめ「オラワクワクしてきたぞ!」だろうキュリオス・ジョージよ。

ここというのは病院のことだ。
ジョージが外界へ出るために少しばかりリスクが高い状態だということで、出産予定日2週間前に私がここへ収監された。
いやあ最近の産科って大変だよねえ訴訟リスクとかねえとくに地方はねえと思いつつ、おかげで2週間早めに仕事を切り上げられた私はウキウキとバッグから古本を引っ張りだす。入院前にブッコフでマイケル・ジャクソンみたいに買い占めてきた。快感!
「お身体大丈夫ですか?」と白衣の天使に優しいことばをかけられながら三食昼寝付きの寝たきり読書三昧というクズ活動が合法的に赦されるなんて、ああこれは神様のおぼしめし?
ビバ妊娠、ビバジョージ! もっと腹の中でゆっくりしてていいぞジョージ!


10月6日

飽きた。

ブッコフで買い占めた古本第一弾は全て読み終え、売店でめぼしい読み物をあさる日々。
共同設計者のオット氏にブッコフ第二弾を20冊ほど頼んだ。
「チョイスは任せるよ」と言ったけど、あの人磯野家の謎とか福山雅治自伝とか浜ちゃんの「読め!」とか買ってきそう。
「ブッコフにたくさん売ってたから人気あるのかと思って!」とかいって。ニコニコして。
病院食は美味しい。私の手料理よりずっと。

ジョージはよりいっそうそのうごめきを具体的なものにしていく。
さっきなんか左腹がつっぱると思って見てみたら、左腹部がマンガみたいに角のようにでっぱってた。どうやらヒトガタの体を増したジョージが外界に向かってヒジ打ちをしてるらしい。
2700か。エイリアンか。そのうち突き破りそうだなお前。

そういえば予定日は10月21日。
もう2週間後なんだけど、予定日前後1週間くらいのズレは問題ないとタントーイのお話であった。
であれば出産予定日前に産まれてくれたほうが何かと予定が立ちやすいのではないかなあ。ホラ小さく産んで大きく育てるとか言うじゃんさあ。
そろそろ酒も飲みたいしあとほら拙者、ウェセックス王国にも行きたいじゃないすかあ。10ヶ月も禁欲するなんて17、8の頃以来だよ。ああロンドンブリッジしてえよお。
あまり食っちゃ寝して太ってもあとが大変とか聞くので、ちょっとした運動を新たな日課に組み込んだ。1階の売店から産科の3階までを階段を使って往復するのだ。
個人差はあれども、ゆっくりすればリスクは少ないらしい。
腹の中でジョージの寝てるときと起きてるときがなんとなくわかるようになった(やっとかよ)!


10月10日

1日1回、昼食後に腹に機械をあて、腹の子の心音が正常に聴こえるかチェックする。
「胎児の心音が聴こえなくなるとか、弱くなることとか、ごくまれにね、あるからね」と、にこっと看護師さん。
リスクは極小だけどゼロではない。産まれるその瞬間までいつ何が起こるかわからない。それは私にかぎらず、入院不要でぎりぎりまで仕事をしている母体にも胎児にも、出産全般にいえることだ。
階段昇り降りやめよっかな。


10月12日

オット氏がブッコフで追加読み物を買ってきてくれた。笑顔で。やっぱり「読め!」が入ってる。
「ありがとう!」と受け取る。笑顔で。
触診で子宮口の開きが何cmか定期的に測る必要がある。カーテンの向こうからゴム手袋をはめて出てきたきょうの看護師さんが高校1年の同級生のスズハラさんだった。
「ひさしぶり!おつかれさん!」
と言うが早いか私のネス湖にブスっと指をつっこむスズハラさん。ああああああ。
あの時は先生への受け答えもしどろもどろだったのに、こんなに立派になったんだねスズハラさん……と感慨深くなる。いんぐりもんぐりされてるあいだじゅう。
地元に残ったのをちょっぴりだけ後悔した。



10月14日

「まだ3cmくらいね~。赤ちゃんのんびり屋さんかしら、この調子だと予定日過ぎそうねアハハ~」
と私の穴から指を引っこ抜いて看護師さんT中さん、
「そっすかアハハ~」
とM字開脚局部全開で私。

1階に降りる。玄関から入ってくる午後の秋風が気持ちいい。
売店の文庫コーナーの毒にも薬にもならない作者とタイトルのラインナップを眺める。
最近ジョージの昼夜が逆転しているのか、日中はシンと静かで心配なほど。その変わり23時ころ布団で横になっているともにょおおんぐにょいいんと動いている。
そんな早くから夜更かし体質でどうするジョージ。マイペースなのかジョージ。てか胎内に昼夜とかあるのかジョージ?





10月15日

0:00

とつぜんの下痢。
地獄の窯が開いてこの世のすべてのものが底に抜けてずぞぞぞぞぞっと便器に吸い込まれてしまうのではないかと思うほど私の中のすべてのものがすっこ抜けた。ジョージも出ちゃうよ!
変なもの食ったっけか。いや病院食しか口に入れてないから、食あたりなら他の患者さんも同時刻にすっこ抜けてるはず。じゃあなんだ?
とりあえず様子を見る。腹がしくしく痛みつづける。このまま続くようならナースコールしよう。
妊娠中も下痢止めって飲めるんだっけ?



0:50

すっこ抜けきったはずなのに腹の痛みが止まらない。
ナースコールを呼ぶまでもなくトイレを往復している私を見て、夜勤の看護師さんが「どうしましたー?」と声をかけてくる。
状況を話すと、
「ふーん… ちょっとエコーかけて、赤ちゃんの心音もきいてみましょっか」
心音は正常。子宮口5cm。

「てかこれ陣痛ですね。お産くるね。」

えええええええだってきょう、午後、「あ~こりゃ予定日すぎますねアハハ~」なんて笑ってたじゃあん!
出たいのかジョージ!地獄の釜の所業はお前かジョージ!心の準備ができてないんですけどジョージ!

さきほどのあれかな下痢かな?ってくらいのしくしく腹痛は既にどんどこどんどこ力強い太鼓のリズムへと変わりはじめている。かすかな遠くの呼び声が、近づいてくるとともにあ、あれサブちゃんだわと認識できるくらいに解像度を増す。与作のこぶしで下っ腹を抉ってくる。ほお。ほおおお。おお。お。



2:00

心の準備ができないまま陣痛室に移動させられる。
「子宮口まだ全然開いてないんでまだまだだと思うけど、念のためご家族に連絡しておいてね」
と看護師さん。
通された陣痛室の奥に目をやるとそこには分娩室が2台ある。うち1台の下にはフレッシュなレッドの血痕が落ちている。
「あーさっきお産あったからねー^^」
あっけらかんと看護師さん。


3:00

すでに私の腹の中ではサブちゃんとジョージのどんこどんこ祭りに海の神山の神が参加している。袖脇に花柳社中も控えてる。
紅組がんばれ、白組がんばれ。俺ももうすぐ紅だ。
オット氏はコール後すぐにかけつけ、「俺仕事あるから!」といって私の手をギュッと握ってすぐに帰っていった。
入れ替わりでギボが駆けつけてくれる。腰のあたりをさすってもらう。すみませんおかあさま、これまで演じてきたちょっとドジっ子なでも従順な嫁はもういません、俺はひとりの修羅なのだ。
「触診しますよー!子宮口7cm!もうちょい!10cmになれば分娩台上がれますからねー。頑張って!」
とマラソン解説者のようにテンポ良くさっそうと指を突っ込みそして去っていく看護婦さん。
10cm!?私は左手でフレミングの法則のポーズをつくる。ギボはだまって狂った嫁の腰をさする。



5:00

頭の中でサブちゃんと浅草サンバカーニバルのおねえちゃんたちがハイタッチして交代する。風神雷神が現れてバチで私の腰椎を直接フルスイング、スクイズ、フルスイングする。極彩色の蝶が見える。もうだめぽ。



6:20

「ハイッ子宮口10cmぃーー!分娩室行ってよーーし!」
「っしゃあああーーい!!」
サンバのリズムで分娩台にひらりと飛び乗る。照明が罰ゲームみたいに照る。
分娩台の両脇についているバーを握りしめる。
「ハイ吸ってー!吐いてー!まだイキんじゃだめーー!」
熱い。この頃になるともはや陣痛の、腰骨フルスイングの痛みよりもジョージの脱出ポット周辺の熱さのほうがひどい。そこから溶ける。
助産師さん2人が私の股のあいだで綱引きをしている。
熱い。出したい。
出る。



ジョージ、光、極彩色、サブちゃん、光、蝶、光、サンバ、光、光、光、光、

熱いぜ出したいぜ産むぜ産んでやるぜ出せるぜ熱いぜいかないで俺はあああ
ああああああああうわああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あほんやあほんやああほんやああほんやああほんやあほんやあほんやあああ






光。







7:00
次に見えたのは天井だった。
分娩台の上で少し気を失っていたらしい。喉がからから。
バーを握っていた手から肩までが痺れてうごかない。

分娩室の外で待っていた感極まるギボの話によれば、「『産ませてよおおお!』と階下にとどろく雄叫びのあとに元気な赤んぼうの声が聞こえた」とのこと。
ジョージが私の溶解した脱出ポットから無事イジェクトされて直後、すぐに私の手元へ戻ってきてくれるのかと思ったらそうではなかった。
看護師さんが別の部屋へ一旦連れていった。
後からきいたところによれば、手の指、足の指が5本ずつあるかとか、看護婦さんがちゃんと確かめる作業があるらしい。
産声が聴こえて、彼がふたたび私の胸元に戻ってきて、赤黒くふやけたその四肢をみて、声をかけたところまでは覚えている。
お前か。お前がずっと私といてくれたのか。


「おつかれさま。頑張ったわね。もう名前は決まってるの?早く決めてあげないとね」

まだ分娩台でぐったりしている私に、分娩前とほぼ変わらないトーンで看護師さんがぽんと肩を叩いて去る。
私はさっき胸に抱いた彼の顔を思い浮かべる。
飴細工の鶴のような指を。眠る蝸牛のような耳を。深い森のような睫毛を。すでに完璧に完成されたそれらを。
そうか、名前。名前を決めないと。あの子はもうジョージ(仮)じゃない。あの子にはもうかたちがある。
あたたかく力強い光を思いだす。
天井が滲む。
名前は。おまえの名前は。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ーinspired by ”aer" in 「なめらかで熱くて甘苦しくて」